こんにちは、ETCの鈴木です。
鈴木がカイロプラクティックにどっぷり浸かっていたとき、こんな言葉をよく聴きました。
本物のカイロプラクティック
本物のカイロプラクティックというぐらいなので、ニセモノのカイロプラクティックもあるのでしょう。勿論声を大にしてはいえないでしょうが…。
カイロプラクティックも数々の種類があります。
ガンステッド・ディバーシファイド・トムソン・アプライドキネシオロジー・ローガンベーシック・ピアーズ・SOT・等々。
実は私もメチャクチャ本物志向でした。
「本物のカイロプラクティックを学びたい!」と思っていた。
なんとも響きがいいですが… 前々から鈴木は思うことがあります。
それは「本物はなかなか一般人には受け入れられない。」です。
空手を例に取ると、
極真空手がいくら広まっても、一般の人にはやはり受け入れ難い。
危ない、怖い、痛い、怪我するかも、根性がないかも等…
その点、カラテビクスの方が受けがいい。笑
女性も出来るし、痛くない、ケガもしにくい、怖くない、そんでもってカッコイイかも。
カラテビクスを見て、「あんなのはニセモノだ」といったところで始まらない。
流行るものは流行るし、流行らない物はいくら本物であろうと一般人には受け入れられない。
「いかに本物を受け入れてくれるか」を考えると、カラテビクスの形になるのかも知れない。
ボクササイズも同じことですね。
一方、カイロプラクティックに目を転じてみると、
受け入れやすくするために、「ソフトカイロ」や「バキバキしません」などの言葉もいいのかもしれません。
もちろん、腕の未熟さを容認するわけではありませんが。
人はニセモノを手にした後、物足らなくて本物を求めると仮定すると、
本物には本物の役割があり、
ニセモノにはニセモノの役割がある。
ということですね。
だから何がニセモノかは知る必要はなく、自分の役割を肝に銘じることが大事なのでしょうね。
あなたの社会におけるカイロプラクティックでの役割は何ですか?
この答え、
あなたの心のどこかに入れておいても損はないと思います。
本物を求める人は飽くなき追求をし、普及を目指す人は普及させるために精進する。
本物を持った人は、普及者をニセモノ呼ばわりせず、普及者は本物を持っている人を頑固者と呼ばず、お互いがいいところを認め合えるといいですね。
するとカイロプラクティックもきっと社会に影響を与えるだけの大きく立派な業界になるのだと思います。
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